2017年5月号(No.463)

量の緑地から小さくても輝く都市の緑へ 

 

人の営みにとって緑が重要なことは論を待たない。地球規模でも身近な生活環境でも。都市計画や建築計画おいても一定量の緑を確保しようとするが、ともすれば緑地面積と樹木本数を守ればよしとされてしまう。一方で、人々は小さなスペースでもガーデニングを楽しむ術を知っている。園芸は治療や福祉においても役割をはたしている。緑の持つ可能性を十分に生かした豊かな外部空間を広げていくために、まちの中で小さくても輝く緑の実践と方法を探った。

 

・緑被率より緑感率 緑を量ではなく質で捉える時代へ   大原 紀子

・脱・危うい都市の緑  活路は内なる緑創生から     髙田 昇

・〈対談〉造園の職能を追及する若い庭師の潮流      辰己 耕造・辰己 二朗 × 大原 紀子

・〈インタビュー〉イギリスの庭と日本の庭

・コラム 園芸福祉士って知ってますか?

 

■新建のひろば (下部に支部活動の抜粋)

・新建代表幹事・中島明子先生──退職記念最終講義の報告

・第30回大会期第4回全国幹事会の報告

・住まい連他4団体主催──院内集会「『住宅セーフティーネット法改正案』を考える」の報告

京都支部企画──3回連続講座「『構造計画って何?』第2回鉄骨造」の報告

愛知支部企画──「わが町見学会in有松」の報告

・復興支援会議ほか支援活動の記録(2017年3月1日〜3月31日)

 

■連載  

《英国住宅物語4》英国近代のユートピア R.オーウェンの社会改良実験とモデル工業村開発  佐藤 健正

《創宇社建築会の時代24》「建築運動」の歴史化──1937年6月の『建築と社会』誌──    佐藤 美弥 

《新日本再生紀行7》千葉県館山市(その一)                        鈴木 進 

《20世紀の建築空間遺産20》アラブ世界研究所                       小林 良雄 

 

  

主張『奈良公園の魅力を損なうホテル開発はいらない』 

川本建築設計事務所 / 新建全国事務局長 川本雅樹

 

  奈良公園は今また大きく変えられようとしています。2年前に「若草山」にモノレール建設を計画して多くの市民から反対の声があがり計画を断念した奈良県が、またもや奈良公園で新たな開発行為を計画しています。すなわち、世界遺産「古都・奈良の文化財」のバッファゾーンであり、市街化調整区域であり、文化財保護法の名勝「奈良公園」に含まれる一角に高級リゾートホテルの建設計画を進めています。2カ所あって、一つは吉城園周辺、もう一つは鷺池と浮見堂の南側に位置する旧裁判所跡地ですが、今とりわけ市民の反対運動が起きているのは後者です。

 奈良公園は、太政官布達によって1880年(明治13年)2月14日に開設され、古代からの優れた自然景観と東大寺や春日大社、興福寺などの社寺建築が混然一体となった公園です。しかし、今日の姿は自然にそうなったのではなく、明治時代に奈良公園を緑豊かにするための先人の努力がありました。廃仏毀釈の際に荒廃した寺院のなかには寺地を切り売りして宅地にしてしまうということもありましたが、奈良の社寺が緑豊かな公園にしたのは英断でした。

 奈良県当局も以前は「この優れた遺産を永く後世に伝えなければなりません」としていました。奈良公園は市民生活になじみ、内外の観光客も含めてともに憩い、楽しむという点でたいへん親しみやすい。そんな誰もが気軽に入ることができる奈良公園の一角に、客室に露天風呂がついた1泊10万〜20万円という特定の富裕層しか利用できないホテルをつくることは、一部の者のための「活性化」でしかなく、国民の財産である公園を私企業に独占させることにならないでしょうか。

 しかもそのやり方も姑息です。もともと旧裁判所跡地は都市公園に含まれていませんでしたが、2016年12月27日に編入しています。なぜ編入したのか。都市公園法では公園施設として認められるものに便益施設があります。便益施設のなかには売店、飲食店、駐車場、便所などとともに宿泊施設があります。ここに目を付けたのです。これに組み込まれれば開発許可は不要になる。そうなれば、通常、開発許可に必要な隣接地同意や地元同意も必要なくなるので、「渡りに船」というわけです。

 ただし、同じ都市公園法施行令第8条には「宿泊施設を設ける場合においては、当該都市公園の効用を全うするため特に必要があると認められる場合のほかこれを設けてはならない」と明記されています。高級ホテルはどう考えても公園の便益施設とは思えません。一方、当該地は風致地区条例の第1種風致地区に指定され、現況の凍結保存をはかる地域に指定されています。原則、開発行為はできない地域になっているのです。通常考えればホテル建設は認められないと思うのですが、都市公園法の方が風致地区条例よりも法律の条例に対する優位性ということで、条例は縛りにならないというわけです。

 さて、奈良県は、地元説明会を2回行いましたが、周辺住民は建設反対の組織を作って集会や署名活動など精力的に運動を展開しています。奈良県は「反対は一部の者だけだ」として計画を粛々と進めています。新聞報道によりますと、すでに民間事業者に公募をかけて、東京に本社がある不動産会社1社に絞り込んだとのことです。今後、文化庁が文化財保護法にもとづいて名勝「奈良公園」の環境保全の立場からどのように判断されるかが焦点になってきています。

 安倍内閣は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを節に観光客が増えるとして、観光行政を「観光立国・地方創生総合戦略の柱」と位置づけ、富裕層をターゲットにした滞在型観光を進めています。高級ホテルなどの誘致や受け入れ環境整備に補助金や交付金もつけて誘導していますが、まさに奈良県のこの間の動きはこれに呼応しています。そんな一過性の施策ではなく、137年の歴史をもつ奈良公園の魅力を継承した地域づくりを、地元住民や商店街の人々など文字通り市民・県民協同ですすめることこそが求められています。


[京都支部]―「3回連続講座『構造計画って何?』の第2回(鉄骨造)」の報告

                    

30年来 新建京都支部の意匠設計者が数々の構造設計を依頼している能勢建築構造研究所の松島さんが、この半年前に晴れて新建会員として入会されたのをきっかけに、構造にかかわる連続講座をしていただけることとなりました。第2回目の今回は「鉄骨造」で、3月25日(土)15時より企業組合しんまちで開催され、14名の参加者がありました。今までに設計された特徴のある建物を3物件紹介していただき、その特徴を話していただきました。

 まず一つ目は「鋼板格子梁とRCの合成床による教室の構造計画、無梁版構造」です。かなり構造的に特徴的な建物ですが、「構造的に在来工法で中小ゼネコンが特殊技術を使わずに施工ができるように計画する。」というのを軸に置き、面白い空間に仕上げていくことに力を注いでいるとのことです。意匠設計者のこだわりでかなり難しい計画となっていたようです。シュミレーションも何度も繰り返し、余力を持って計画していますが、適判のない時代だからできたとのことです。今となっては立面的な混構造は審査にかなり手こずり実現しないのでは・・?私の疑問は「長方形の建物の一辺に耐力要素がないコの字の構造計画が成り立つ」というものです。木造でもRC造でも同じとのこと。偏芯をどう回転させないか、だそうです。難しい作りに付き合ってくれる鉄工所を探すのも一苦労。ゼネコンさんに泣きつかれ、自身で打診。その鉄工所の現場での提案力のおかげで施工方法も変更し、より良い建物へと変わっていくのも面白味の一つ。柔軟な監理です。この話を聞いた参加者は「なんだ、かなりのわがままを言っても聞いてもらえるのだな」とちょっと飛躍した感想が広がりました。

二つ目は「鋼板HPシェルによる音楽教室の構造計画」で、これまた難しそうな計画です。3次元に折れ曲がる屋根を中心にある1本柱で支えて、水平力は外周壁で支持。これまた現在では適判行きですね。棟はまっすぐで、軒先もまっすぐ、その間の面がひねっているというもの。軒の出が1mほどあるので外壁の位置では、ひねっている途中ということになります。ということは外壁ラインでは桁はまっすぐには入れられないということですね。屋根面の実際の施工も細長いパーツを少しづつずらしながら止めつけていくことで、湾曲した面を作り出しているというものでした。その一つ一つの長さ・巾・傾きを図面に起こしてリスト化し、施工手順を指示するといった、なんとも気の遠くなるような仕事です。松島さんのスライドを利用した説明は大変分かりやすいものでした。

三つめは「H型鋼柱を用いた、微細なラーメン構造 見た目は木造」で、これはうちの事務所で設計したものです。住宅よりも少し大きな保育園の離れです。木造でスタートを切りましたが、短辺方向の壁を確保しにくいこともあり、無理せず木造のようなスマートさを表現するため、柱型の出ない125×125H型鋼柱を構造要件に従ってX軸とY軸にラーメンの向きを変えて建て込んでいます。現場ではそのH型鋼柱が流通材として出回っておらず、入手に手こずり、オーダー製作となってしまったのでした。鉄骨にも流通材という概念があったのかと思い知らされた案件でもありました。

そのほかいろいろな鉄骨階段を見せていただき、構造の理屈が少し見えたような気になっています。階段は一つの難問でもあるようです。2次会、3次会と酒が入ったことで、和気あいあいと世間話に花が咲き、充実した1日となりました。うっかり次回の木造編の話が出たり、3連続のたのしみが膨らみます。

(京都支部・清原正人)

 

[愛知支部]― 雨に降られても「わが町見学会in有松」の報告

 

2月の「わが町見学会in大高」に続き、3月26日は、そのすぐ隣り町「in有松」です。ナビゲーターは、新建愛知支部名誉幹事の尾鍋昭彦さんです。

尾鍋さんは工業高校在職中から有松の古い町並みの調査に協力し、地元の住民の方々と一緒になって町づくりを続けてこられました。その甲斐あって有松は、昨年国の「伝統的建造物群保存地区」に選ばれました。

  有松は、一六〇八年(慶長十三年)尾張藩による移住奨励によって、池鯉鮒宿(知立宿)と鳴海宿との間の街道につくられた町です。最初の移住者の一人である竹田庄九郎らが考案した「有松絞」は藩の庇護のもと、江戸時代を通じて産業として発展し、町並みは拡大しました。

名鉄有松駅に集まった参加者二十名(うち非会員六名)は、高架式のコンコースから北側の大手スーパーがそびえるショッピング街、南側の歴史的な町並みを眺めた後、尾鍋先生の案内で雨の町並みへと繰り出しました。有松の町は、昔の谷あいの地形のまま開けたので街道はゆるいカーブをえがいてくねくねと続いています。道の両側には白漆喰・黒漆喰の塗り籠めの絞り商家が豪壮な屋敷構えを連ね、絞り業に関わる紺屋敷・括方職等の諸職の町家が混在しています。

 私たちは、その中に名古屋市景観賞を受賞した「連空間設計」が手がけた「山車蔵」を発見しました。参加者の中にもその仕事にかかわった人がいて、その頃を懐かしく思い出していました。

絞り商家の中の一軒「竹田邸」の賓客用の書院・中庭・茶室を見学しました。「大きな絞り商家では上客には、店頭ではなく広い和室で展示をして絞りを売る『座敷売り』をしていた」と説明をうけました。現在、町並みは西の端で高速道路によって終わっています。ここでも「便利さ」の陰で歴史文化が寸断されています。

そのあと一行は、「有松山車会館」「有松・鳴海絞会館」を見学して歩き、近くにいても知らなかった有松絞の美しさや技術、本物の山車からくりを目の当たりにして感嘆の声をあげました。 昼食を古民家の「寿限無茶屋」で終えた後、尾鍋先生の解説を聴きました。

「『安全と便利』と引き換えにこうした歴史や文化がどんどん消滅している。その陰で商店街がなくなったりしてお年寄りや子ども達が生活しにくくなっている。誰のための安全であり、便利なのか?私は『自動車で町の隅々まで行かなければ気がすまない』という気持ちが伝統ある町並み・住みやすい町を壊していると感じています。」と先生は、お話を結ばれました。

午後からは、中森さんが用意してくれた古い航空写真と現在の航空写真をもとに町がどのように変化を遂げ、寸断されてきたかを古い路地をたどって歩きました。 掘割りになってしまった坂道の歩道橋の上からかつての町の姿をイメージしました。せまい路地から路地へとめぐって昔の…と言ってもほんの二十年ほど前の人々の生活のスタイルを歩いて疑似体験をしました。「やっぱり有松は坂の町だ」と思うと同時に、心の中でさきほどの尾鍋先生の『誰のための安全・便利なのか?』という言葉を反芻していました。帰り道での参加者は口々に「住民にとって真に暮らしやすい町のあり方は?」と話していました。

(愛知支部・河合定泉)