2017年7/8月号(No.465)

 

 大阪らしさをめざして
──歴史と文化/まちづくりの胎動

 

大阪は東京(江戸)と並び称されてきた巨大都市だが、商工を生業とする庶民の歴史と文化を育んで来た。大都市志向の構想やプロジェクトが打ち出される一方で、随所で大阪らしさを生かしたまちづくりが胎動している。〈ひとつの大きな地方都市〉という視点で、内側から今の大阪を捉えた。

 

・大阪の政治とまちづくり                   森 裕之
・文化息づく船場からの発信-船場の今、昔、未来をつなぐ   三谷 直子
・よみがえる水都大阪-公民連携の推進プロセス        泉 英明
・ビレッジガルテンという-小さなまちづくりの大きな夢    小林 孝明
・豊崎長屋での暮らし-歴史をいかした再生からの学び     梶 純子
・大阪東部の小さなまちの風景                内山 進

 

◆新建のひろば
富山支部──5月例会「第3回研究集会勉強会──まちと集落の再生その1──」の報告
福岡支部──「熊本地震に学ぶ2(熊本視察編)」の報告
・住まい連他主催──「住宅セーフティネット法改正」報告集会
京都支部企画講演会──「熊本地震から一年、被災地の現状と課題──福祉、建築の視点から」の報告
・第30回大会期第4回全国常任幹事会の報告
東京支部──「築地市場施設視察と勉強会」の報告
・復興支援会議ほか支援活動の記録(2017年5月1日~ 5月31日)

 

◆連載

《英国住宅物語6》英国近代のユートピア E.ハワードの田園都市論とその実践  佐藤 健正
《創宇社建築会の時代26》信濃川発電所の現場で  佐藤 美弥 
《新日本再生紀行9》千葉県館山市(その三)  岡部 明子 
《20世紀の建築空間遺産22》ドイツ新国会議事堂  小林 良雄 

 

 

主張『2020年──東京五輪の開催と新建50周年をどう迎えるか』

和洋女子大学名誉教授/新建築家技術者集団代表幹事  中島明子

 東京オリンピック・パラリンピックの迷走するニュースを聞くにつけ、二〇二〇年の同じ年に新建築家技術者集団五〇周年を迎えることが頭によぎるようになりました。あと三年。世界的イベントが夏に終われば、一二月に新建築家技術者集団の五〇周年を迎えます。
 今、東京は、空家問題が深刻だと言いながら、オリンピック・パラリンピックを好機として、タワーマンションが続々と計画され、都心・臨海部の巨大開発の嵐で東京のまちは再びひっくり返されています。
 それどころか、オリンピック選手村予定地の一二〇〇億円にもおよぶ値引きしての再開発は、「モリトモ」問題どころではないスキャンダルです。
歴史的な国立競技場は破壊され、そこに建つ新国立競技場はザハ・ハディド案を白紙撤回して決定した最終案でも、当初予算一三〇〇億円を上回る一五五〇億円(ロンドン大会の2・7倍!)にもなろうとしています。これではオリンピックが、土建国家日本の体質をむき出しにして、ディベロッパーのために実施されるのではないかと思うほど。「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」による「既存の競技場を改修して浮いた一〇〇〇億円を東北の被災地復興に使お」(「国立競技場を壊したくない10の理由」(二〇一四年六月)は、被災者はもちろん、復興を願い奮闘している多く
の人々にとっての熱望でしたが、聞く耳を持たない国でした。
 オリンピック憲章にのっとり、「スポーツをすることは人権の一つ」であり、「人間の尊厳に重きを置く平和な社会の推進」を目指し、五大陸の多様な人びとが交流する頂点に、オリンピック・パラリンピック大会はあります。ですからこれを機に、東京を真のユニバーサルデザインのまちにしよう、持続可能で安全・安心なまちにしようという、今日東京が抱える課題に応える取り組みをすることが、二一世紀の東京で開催される意義にもつながったはずです。
 より深刻なのは、祭典の〝後〞に何が起こるかということです。
 オリンピックバブルが弾け、玉突き状態で失業する人が増え、不要なオリンピック「レガシー」を抱え、そして重なる大災害の復興課題を引きずり、人口減少と高齢社会の進展と、二〇二七年開業予定のリニア新幹線に象徴される東京の国際経済戦略都市への転換が浮上するのでしょう。
 新建50周年は、こうした時に迎えます。
 今年行われる第三一回大会では、「組織の世代継承を確実に行う」課題と、「今日の時代に即した『新たな建築運動のスタイル』を模索してゆく」課題が掲げられています。一九七〇年に結成された新建の綱領、二〇〇一年の憲章、「生活派建築家」、「社会派建築家」と展開してきた新建の活動を、右肩下がりの時代にどう展開するかということでもあります。
 ところで、今回提起された一つ目の課題は、綱領や憲章の中で触れられていない課題の一つでもあります。すでに50
年近い歴史の中で、新建の理念と方法(技術)・デザインについて多くの実践が蓄積されてきました。それらは「新建」固有のものであると同時に、建築界全体の普遍的な価値をもっています。これまでは小さな流れだったかもしれませんが、今や本流に流れこもうとしています。これらを次の世代に届け、〝建築創造〞という魅力的な仕事があることを伝えることが、課題の一つに応えることではないでしょうか。
 日本では20世紀までの右肩上がりの時代にあって、「建築」は社会変革や生活の発展を視覚的に表現できる輝かしい領域でした。そして今、オリンピック開催以降の人口減少・低成長時代にあって、誰もが人間らしく生きる生活空間創造のためにどういう空間を表現するのか、若者が希望に満ちて建築分野を選び活躍できる道筋を創れるようにと願うのです。

 


 

 

[富山支部]―5月例会「第3回研究集会勉強会-まちと集落の再生その1-」

  日時:2017年5月27日(土) 14:00~17:00

  場所:新建富山支部事務所にて

 富山支部の今年度の企画として「第30回全国研究集会in吉野」の資料集を利用し、「研究集会勉強会」を行っています。全国企画を身近な問題・地元の問題として読み直す主旨として行っています。分科会のテーマから3テーマを選び、月1回ペース全6回(各テーマ2回)の予定で行っています。

 5月27日に開催された第3回研究集会勉強会は、新たなテーマ「まちと集落の再生」の分科会テーマから「滑川宿のまちなみ保存と活用」について富山支部の小森忠氏を講師にむかえ発表いただき、参加者も含めて意見交換を行いました。場所は新建富山支部事務所にて、時間は14時〜17時頃まで行いました。今回の参加者は近県支部からの参加者を含め計13名になりました。少人数でしたが、内容の濃い勉強会となりました。

 3月に富山県から登録有形文化財12件が指定され、その内10件が滑川市で、講師含め新建会員数名が所属するNPO法人「滑川宿まちなみ保存と活用の会」の活動が富山の文化財分野に大きく貢献したかたちとなりました。江戸時代以降の旧滑川町域は、旧北陸街道沿いの宿場町として栄えました。現在、町家形式の伝統的建築物が残っています。しかし残念ながら、こうした伝統的建築物は連続してある訳ではなく、街道沿い約5㎞の範囲に点在して存在しています。今後、まだ数件の文化財登録を目標としているとの話でしたが、こうした点在する拠点同士をどのように結びつけていくのか注目されます。

 登録有形文化財は伝統的建造物群保存地区などと比べ、ハードルの低さがメリットで建物の活用が容易となります。また、補助金などの優遇措置や災害時の補助も受けられます。登録有形文化財への条件は、築50年経過していることに加え、①国土の歴史景観に寄与しているもの②造形の規範になっているもの③再現することが容易でないもの、の内どれか1つに該当することが必要となります。登録後は建物の外観に規制がありますが、それ以外は割合自由にできるため、住まい手に合わせたまちづくりが可能です。ただし、所有者の文化財への理解が必要で、丁寧な説明を行うことがまちづくりの活動に求められます。

 滑川宿でも、住民の高齢化や空き家の増加にともなう建物の老朽化が顕著となり問題となっています。NPO法人では、まちのにぎわい創出のため、さまざまなイベントの提案や家屋の保守管理の体制も整備し、まちづくりを支えています。NPO法人の設立から4年目で会員58名と、まちづくりは始動しはじめたばかりです。まちの人口増にはまだまだ時間を要するといった状況で、セカンドハスやアトリエとして新規の活用はあるものの、継続して利用されるまでには至っていません。「住むこと(まちのコミュニティ再生や経済的自立)」のできるまちへ戻すためには、途方もない時間が必要だと感じました。

 今後は県内や地元住民への活動を広め、若い世代へ運動を受け継いで行くことが求められると講師の小森氏は話します。参加者からは、それぞれのまちづくり経験談が語られ、率直な意見や失敗談なども聞かれました。また、身近な地元のまちを見つめ直すきっかけともなりました。

 今回の勉強会後、6月10日には県建築士会主催の見学会が企画され、新建から7名参加しました。次回6月24日の「第4回研究集会勉強会その2」では、見学会を受けてさらに発展した意見交換がなされる予定です。

 (富山支部・西一生)


[福岡支部]―2017年5月例会「熊本地震」に学ぶ2[熊本視察編]

  日時:2017年5月20日(土),21日(日)  終日

  場所:熊本県内各地を視察     ※詳細は「福岡支部HP」にて 

 今年2月に開催した「熊本地震に学ぶ」の延長企画として、震災より約1年を経過した現地を実際に自分の目で見て回り、各地のキーマンにお話をお伺いするという例会を、5月20、21日に行ないました。参加者は福岡支部の会員と千葉支部より参加の鎌田氏の14名、JSCA木造部会員と一般の方5名、そして現地案内や講師の方が7名でした。

 5月20日(土)

 もっとも被害の大きかった益城町役場より秋津川沿いまでの周辺を歩いて視察をしました。あちこちで解体の進む被災地には、今年中に木山復興土地区画整備事業の策定が進んでいますが、一方では事業を待ちきれない新築住宅の建設も進められていました。ご自身も被災された﹇Zoological garden:田尻様﹈の事務所跡地にて、当時の状説や今後について伺いました。整備地区の中心には断層も通っていることから、現地建替えについては強い拒絶感もあるとのことです。復興のシンボル的な県道高森線の四車線化の拡幅は、広範囲の立ち退きなどが必要であり、住民は積極的には望んでいないとのことでした。

 益城町テクノ仮設団地内に建設されている「くまもと型復興住宅」の展示場にて、中心となって活動されている熊本工務店ネットワークの久原様にお話を伺いました。最初の木造応急仮設住宅は、4月末に着工と素早い対応をされていますが、これは「全木協」などとの連携によって可能だったとのことでした。短期間で限られた予算内で、ベタ基礎や高断熱の仕様の仮設住宅の施工など、避難の長期化や住み心地に配慮をされていました。しかし地元の設計事務所などとの協力や、士会等の各設計団体などとの協力は充分にできず、その後もさまざまな問題があるようです。

 県内で最大の規模である益城町テクノ仮設団地内の「みんなの家」で、仮設住宅の現状や取り組みについてテクノ仮設団地自治会長の吉村様にお伺いしました。経験のない避難所での生活において、負担の重い行政担当者との連携の重要性。またその後の自主運営やコミュニティづくりの重要性や仮設住宅への入居、その後の生活にコミュニティを繋ぐことの必要性などを伺いました。今後も長期化するであろう仮設団地内にて、互いに支えあいながら生活していく基盤を作るための支援活動も課題であると思いました。

 小川町までの途中で、以前視察を行なわせていただいた甲佐町の液状化の現場にて、被災された住民の方の相談を受けました。地元の甲佐町町議の佐野様のご案内により現地の方のお話をお伺いし、片井氏持参の計測器にて簡易な測定などを行ないました。熊本地震において、半壊判定は公費解体ということで解体が進んでいますが、軽微な傾斜や沈下等の一部損壊などの住宅についての被災者救済や補助などが悩ましい問題です。

 当日の宿泊先となる宇城市小川町の塩屋では、会員でもある熊本高専特命客員教授の磯田様(坂田様)に現状や課題点について伺いました。地域の財産でもある伝統工法の古民家などの解体が着々と進んでいる状況の中で、住民による再建の動きが少しずつでも出ていることは明るい兆候でしょう。また、先生の教え子の方など若手の方が中心となって、地域づくりにも貢献されていることにも希望が持てました。福岡支部では、この地区の再建を継続して手伝っていくことにしています。

 その後の夕食と懇親会は大変楽しい宴となりまして、その際に新しい会員4名をお迎えできたことはとても重要なことでした。これについてはまた今後報告いたします。

 

5月21日(日)

 川尻町を中心に住宅や施設の復旧を積極的に行なわれている住まい塾古川設計室の古川様の事務所にお伺いして、まずはスライド等にて今回の震災の特徴等を伺いました。その後徒歩で川尻公会堂や米蔵、そして瑞鷹酒造の被害や復旧の状況を視察しました。昼食は増築を設計された地元で有名な鰻料理店の若松屋で取りましたが、人気店とのこともあり満席状態でした。熊本市内への道すがら、南高江や近見等の地盤沈下の現場などを視察しましたが、電信柱の未だに沈下したままの状況を目にし、液状化対応の難しさを感じました。

 熊本市内の中心部で、昔からの城下町の趣を残す新町古町の復興について、くまもと新町古町復興プロジェクトの吉野事務局長様にお話を伺いました。解体の進む古民家の保存や地域のコミュニティ再生への取組を語っていただき、現地を視察しました。

 最後には、熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の復旧現場を見に行きました。被災した天守閣の上部解体の準備のために足場が掛けられている状況でしたが、今後の復興のシンボルとしての再建の現場を見て、少しばかりの元気をもらいました。

 今回は2日間で多くの現場の視察を詰め込みすぎた感もありますが、各地で活動される方々のお話を聞けたことは大変参考になりました。キーマンのお話の中で共通していたのは、各地にネットワークを持っていたことが役に立ったとのことでした。新建も全国組織、いざというときに繋がれるようにしていきたいと思います。

(福岡支部・鹿瀬島隆之)


[京都支部]- 熊本地震から一年

  日時:2017年6月3日(土) 14:00〜16:30

  場所;しんまち(京都市下京区東塩小路町727)

  6月3日、企業組合センターしんまちにて、表題の講演会が開催されたので報告する。熊本地震から一年が経過した。私は地震発生後2か月の熊本に所員2名(+新建会員1名)とともに私的調査団を組織し、熊本地震実況調査(視察)を行っていた経緯もあり、今回の企画に大きな興味を持ち参加した。

 講演は、災害ボランティアセンター事務局として活動している「特非さくらネット」理事・佛教大学福祉教育開発センター講師の後藤至功氏が「福祉の視点から」、新建福岡支部・全国幹事の片井克美氏が「建築の視点から」、地震一年後の現状と残された課題についての報告を行ったものである。自らも阪神淡路大震災を経験されたという後藤氏は、今回の地震災害では主に南阿蘇村に派遣され、被災者の支援活動を行ったとのことであった。

 後藤氏によれば今回熊本地震は、①余震が桁違いに多かったこと②新耐震以降の建築物も多く倒壊したこと③屋内での避難が忌避され、車中泊が多かったこと④東日本大震災の経験も踏まえ、要援護者支援が当初から意識されていたにも関わらず、福祉避難所の設置が進まなかったこと⑤避難所の特徴として、コミュニティごとに区分けできた所(被災者の生活環境と支援活動に好影響)とできなかった所(劣悪な生活環境と支援活動への障害となった)があったこと⑥避難所自体が劣悪な生活環境であったこと(時間の経過とともに一部で生活空間の改善と衛生面での改善に取り組んだ事例も紹介された)⑦南阿蘇村など、生活道路の被害による生活障害、孤立化が長期に続いている被災地があり、今後、自治体としての復興・自立が困難になっている地域(自治体)があること⑧多くの取材と調査が行われていること、が特徴であったとされた。

 後藤氏による仮設住宅の紹介事例で、木造の仮設住宅(それ自体はプレハブ仮設住宅に比べ良質なもののようであった)が「被災7カ月後」に入居が始まったとの報告があったが、私は仮設住宅建設に「被災後7カ月」も掛かっていたのでは、仮設住宅としての意味があるのか?という疑問、行政の対応に問題があるのでは?という疑問を持たざるを得なかった。仮設住宅の立地条件などにさまざまな制約や課題があるにせよ、被災者の一時的避難住宅としての仮設住宅は、せめて被災後数カ月で入居可能とすべきではないかと考える。

 他方、仮設住宅建設と平行しながら恒久的災害復興住宅の建設を被災地・被災者の生活復旧を目的とし、被災者のニーズと生活実態に即した立地、規模に配慮した計画をもってできる限り迅速に進めていくべきであろう。良質な仮設住宅の供給はよいのだが、今生きている被災者にとって時間的な遅延は許されないと思う。

 片井氏からは、熊本地震の規模の大きさと被害の実態(人的被害・家屋の被害)を振り返り、益城町、熊本市内、宇城市小川町の現状をたくさんの写真とともに報告していただいた。

 益城町では、被災建物の解体と再建が進められている中、一方で住民不在の都市計画(目玉は県道の4車線化=復興のシンボルとして)が行政主導で進められていること、巨大仮設住宅団地=テクノ仮設団地(500戸・約1300人)が紹介された。

 熊本市内では、一年前、私たちが熊本実況調査を行った際にも調査したマンションも含め、多くのマンションがいまだ手付かずのまま放置されていること、「すまい塾古川設計室」古川氏撮影写真による川尻の歴史的町並みの現状、住宅内の被災状況、城下町である古町・新町の復興状況(被災の規模が大きかったこと、法令上の制約、所有者の高齢化など復興が困難な状況)、熊本城の現状が報告された。

 宇城市小川町でも、歴史的建造物が次々に解体されていること、その中で、磯田節子熊本高専助教授もコーディネーター参加する「小川町震災復興まちづくり勉強会」など、手作りのコミュニティ復興も取り組まれているとのことであった。

 大震災は日本のどこでも発生しうるものであり、それがいつ、どこで発生するのか、どれほどの被害をもたらすのかを正確に予測することは(少なくとも現時点では)不可能であろう。熊本地震を振り返ってみても、極大地震が短期に連続して発生することなど、誰も予想できなかったと思う。それ故、私たち建築に携わる技術者は、少なくともハードの面での震災予防を意識した仕事を常日頃から心掛けるべきであるし、ハードとソフトの両面での震災対策(計画的配慮)を探求すべきである。今回の新建企画に参加して、この思いを強くした。

(京都支部 石上圭介)


[東京支部]-「築地市場施設視察と勉強会」の報告

  日時:2017年6月14日(水)   場所:築地市場

 6月14日(水)新建東京支部主催で「築地市場施設視察と勉強会」を開催しました。市場が休みで、ゆっくりと視察できるということで平日に設定しました。東京中央市場労働組合執行委員長の中澤誠さんに、ガイダンスと市場の案内をしていただきました。当初、15名ぐらいで視察をする計画を立てていましたが、申し込み者は45名となり、築地社会教育会館との関係で、お断りをする状況になりました。参加者は37名、うち新建会員は13名でした。

 ガイダンスでは、豊洲市場建設に際して、情報が非公開で民主主義を無視した形で進められ、土壌汚染がかなりひどく、また建物の設計にも大きな問題があることがくわしく話されました。

 築地市場の重要な役割として「マグロは青森県大間が最高と言われている。そんな中、築地で沖縄のマグロに一番の値がつけられたことがある。品物が良ければ高値が付くのが築地で、それがきちんと評価をするのが築地ブランド。高値が付けば一流のすし屋が買っていき、生産者にお金が入り、やる気にもつながる。全国から食品が集まり、競争することで産地に高品質の食品の生産を促すことになる」築地にはいいものを選ぶ「目利き」がたくさんいて、運搬、流通、場外市場の業者も含めて築地ブランドを支えているという説明がありました。

 ガイダンスの最後に「築地市場は昭和モダンを代表する立派な建築であり、よく考えられた施設の配置は圧倒的物流効率を実現している。築地市場の再整備は、私たち市場関係者のためのものではない。私たちは築地市場という偉大な卸売市場を先人から譲り受けた。その私たちが後の世代に何を残すのか。それが問われている」と締めくくられ、市場へ移動しました。

 市場に入る前に、築地市場の正門近くの塀に「マグロ塚」という板碑が貼られていて、1954年3月1日ビキニ環礁で米国の水爆実験が行われ、降り注いだ「死の灰」によって日本漁船の乗組員に死者まで出たという日本のマグロ漁の悲劇を記録してありました。

 市場正門を入り、市場で働く人の生活を支える関連棟へ、その先の簡易保管所(茶屋)は、各業者の買い出し人が卸売市場で買った品物を仲卸人がここまで届け、それぞれの茶屋では「茶屋番」という責任者がいて、業者ごとに品物を振り分けることで、朝買った品物が午前中には店まで届けられるというシステムになっているそうです。運搬から清掃まで、築地ではあらゆる分野のプロの人がチームワークよく働いていることが説明されました。

 建物の曲線に直行した「大通路」と曲線に平行した「小通路」で構成され、小通路に面して160軒の仲卸の店舗が並んでいます。店舗の面積が違うので、公平を期すために、4年に1回全店舗の入れ替えを行って、市場はきれいに新しいものに変わっていたそうです。豊洲移転の話が出てからは12年間も行われず、補修もされない、「築地はきたない」とレッテルを貼っていることに業者は憤りを感じていると言っていました。

 東日本大震災の時も、豊洲は液状化したが、築地は地盤もしっかりしていて、積み上げた荷物は一つも落ちていなかったそうです。アーチのある柱が美しい事務所棟にも案内してもらいました。1時間30分ほどの視察の最後に屋上へ。目線の先には、異様な高層の建物が連立していました。一方、下を覗いてみるとすばらしいパノラマの市場全景を見ることができました。23ヘクタール、東京ドーム5個分の広さだそうです。曲線を描いたのびのびとした市場で、たくさんの人が活き活きと働いている風景が目に浮かびました。「築地市場は世界遺産に匹敵する」という言葉がお昼においしいお寿司を食べていると聞こえてきました。

(東京支部・山下千佳)