2019年3月号(No.483)

 

建築職能の変容─細分化・多様化する仕事

 

さまざまな技を統合して人間環境を作り上げるのが建築だが、近代的生産の推進システムである〈分業〉は建築職能にも浸透してきている。一方で、従来の建築行為では考えられなかったような幅広い役割も求められている。職能の変容に建築家技術者はどのように対応し、主体性を維持していくのか。基本的な立ち位置、仕事のよりどころ、設計組織の運営、建築教育などさまざまな角度から検討する。

 

・建築環境の傾向を見極めよう                  伴 年晶
・まちづくりがひろげる建築技術者の仕事

  ─まちの居場所づくりに関わって               岡田 昭人+ 津久井 誠人
・人間らしく働き 良い仕事をする─もえぎ設計で考えてきたこと   田村 宏明
・建築士法改正案の内容と課題                  山口 達也
・工務店の新しい役割とこれから                 松塲 謙一

 

 

◆新建のひろば

千葉支部─総会記念講演「創宇社建築会の時代─戦前・戦時・戦後の建築家・建築技術者たち─」

・第31回大会期第3回全国常任幹事会報告

東京支部─「東京の都市問題を大いに語る 新春のつどい」

大阪支部─2019年年間企画月例勉強会「建築家:たのしく仕事してちゃんとメシを食う!」第1回報告

・復興支援会議ほか支援活動の記録(2019年1月1日~ 1月31日)

 

  

◆連載

《災害復興の姿 2》新長田駅南地区の再開発     塩崎 賢明

《新日本再生紀行16》岩手県紫波郡紫波町その2   小笠原 浩次

《普通の景観考16》麻痺の首都だったダブリン    中林 浩

 

主張『団塊の世代の私たち~社会からのリタイヤはやめよう』

群馬支部/全国常任幹事  新井隆夫

 

 2025年には団塊の世代(1947〜49 年生まれ)の大半が75歳を超える。私も1949年生まれで、いま生まれている子どもたちの約3倍近い同級生がいた。中学生になる頃から高度成長期に入り、家電製品の普及で暮らしは便利になり、交通網も発達し、今年より来年はさらに良くなると信じていた。インフレで物価は上がりながらも給料も上がってきた。そんな時代を経てきたわけである。
 最多ボリュームゾーンであることからか、世の中の流行は常に団塊世代に人気のあるものが上位を占めていたような気がする。音楽も車も雑誌もファッションも、そして生活スタイルも。学生運動があれほど盛り上がったのも我々世代が高校、大学生のころである。やがて土地急騰、建築費急騰の時代になり、マイホーム取得に悪戦苦闘(団塊世代が30代の頃が住宅建築数はピークだった)した。
 高度成長が陰りを見せ始めたころから歪みとしての公害、自然破壊、自然災害は多発し、ついには地震による原発災害という未曽有の人災まで経験してしまった。安全神話の偽りをいやというほど思い知らされた。そして、猛烈に働いた毎日から開放されリタイヤしたら、超高齢社会という別の形の歪みが我々の前に現れた。
 高齢者の医療福祉予算が膨大になり国家予算を圧迫している、あるいは若者は高齢者を支えることで大変になっているとか言われている。確かに国家予算に占める福祉医療関係予算は年々増え続けているし、若い世代は将来の年金受給に大きな不安を抱えている。
 日本は世界でも最短年数で高齢化が進み、アジア諸国よりも20年早く超高齢社会に突入すると言われている。高齢者人口が多いのは長寿命化で、一世代(25年)分の人口が以前からするとプラスされた状態と言われている(しかしこれは医療の発達や個人の健康意識の向上などもあり、喜ぶべきことである)。
 こんな時代を迎えた今は、むやみに高齢者や若者世代の利害が反するかのようなことを論ずるのはやめにしたい。それより高齢者が支えられる側から支える側へと、発想の転換をはかる必要があると思う。
 若者が高齢者を支える図式で、騎馬戦型からついには肩車で一人で高齢者を担ぐようになるというのがある。しかしこれは高齢者を一律に弱者とみている発想であり、高齢者でも十分な体力知力を保持している人は沢山いることを考慮していない。高年齢化するほど同年齢でも健康度、体力、知力の個人差は大きくなるが、逆に考えれば健康度の高い高齢者もたくさんいるということになる。担がれる側が担ぐ側に回ることが十分可能なのである。
 我が国はかつては総中流化社会といわれ、諸外国からうらやましがられた時期もあったが、現在の国民所得格差は極端に開き、若者は非正規雇用が増大し、シングルマザー世帯の貧困率はOECD諸国中最悪である。この状況を少しでも改善し、一人一人が大事にされ安心して暮らしていけるようにするには、各世代を年齢で区割りせず、柔軟な発想で、能力に応じて各世代が支えあうコミュニティーを作っていくことが必要であると思う。
 我々の世代は戦後の困窮時代〜高度成長期を経てその結果の公害、自然破壊、果ては原発事故まですっかり見てきた世代である。短期的展望の「今だけ、金だけ、自分だけ良ければ」の悪弊を十分思い知らされた世代でもある。その反省(学習)の上に立って今できること、やらねばならないことを考えなければと思う。
 私は1973年群馬支部発足と同時に新建会員になり、建築の仕事のより所として新建仲間との交流を続けてきた。建築の仕事を続けられたのは多世代の会員との交流があったからと確信している。
 新建会員も高齢化し仕事を辞めたからと退会する人もいる。しかし高齢になったからこそ若い世代に経験を伝えることもできるし、若い会員から活力ももらえると思う。仕事からのリタイヤや年齢を言い訳にせず新建活動をより長く続けることと、世代を超えて支え会えるコミュニティを目指すことは同じだと思う。

 

 


千葉支部 ー 総会記念講演「創宇社建築会の時代 ー 戦前・戦時・戦後の建築家・建築技術者たち ー」

  日時:2019年12月8日(土)  

  場所:アトリエ結(鈴木進さんの事務所)

 

 昨年12月8日、会員の鈴木進さんの事務所アトリエ結にて2018年度の千葉支部総会が開催されました。

 

 総会に先立ち、『建まち』誌2018・7/8月号で「創宇社建築会の時代 ー 竹村文庫からひもとく建築運動」第35回連載を終えた佐藤美弥さんの記念講演がありました。

 佐藤さんは埼玉県立文芸館学芸員で歴史家です。テーマは「創宇社建築会の時代 ー 戦前・戦時・戦後の建築家・建築技術者たち ー」。これは連載の圧縮版ではありますが、千葉支部をご指導ご鞭撻いただいた亡き竹村新太郎氏の生涯とその時代背景の建築運動の歩みを詳らかに解説された、大変すばらしく密度の濃い内容の講演でした。

 竹村文庫、竹村新太郎といっても、千葉支部以外の会員には馴染みが薄いかもしれません。竹村新太郎氏は創宇社建築会同人で、山口文象や西山夘三らと親交しながら活動した人でした。その活動は戦後も一貫して続き、当然新建の設立時に関わっても不思議はないと私など感じるのですが、氏なりの思いもあって、それには関わらなかったといい

ます。竹村氏と千葉支部の馴初めは、1974年千葉支部設立準備会に、氏が突然現れた時から始まりました。山口や西山を旧知の友として呼び捨てして話をする様子に一同驚かされたといいます。それ以来支部を陰になり日向になって導いてくれた、支部にとってはまさに恩人です。竹村文庫は氏の自宅に大量に保存された資料をひもときながら、創宇社建築界の建築家たちの軌跡をたどる作業を地道にしてきました。

 竹村氏が亡くなって久しいある時から佐藤氏が竹村文庫に関わるようになりました。佐藤氏は歴史家として、「竹村新太郎の生涯をタテ糸とし、竹村文庫に残る資料によってわかるそれぞれの時代の建築界の動向をヨコ糸に、日本の近代建築運動の歩みを社会全体のなかで考えてみよう」(『建まち』誌連載35回から引用)という狙いでとらえなおし、『建まち』誌連載としてまとめ上げました。

 この記念講演では創宇社同人の動きを社会との関連、建築界との関わりに焦点を当ててお話しされました。講演資料として用意されたのが連載のなかで第19回の記事です。そこには「創宇社同人たちが生まれた1900年代から創宇社の最後の展覧会の翌年1931年までの30年間の、創宇社や建築界の動きと作品、そして政治・経済・社会の動きをまとめた」年表が示されています。それを見ると、まさに激動の時代、戦争の時代です。1900年治安警察法、八幡製鉄所操業開始、1902年山口文象誕生、続いて他の同人たちが生まれ、1906年竹村氏が生まれています。1904年日露戦争、1909年片山東熊迎賓館、伊藤博文暗殺。1914年第一次世界大戦、1917年ロシア革命、1919年竹村氏逓信省給仕工手学校入学、1920年分離派結成、1923年関東大震災、創宇社結成第一回展、1929年世界恐慌、1930年創宇社第8回展、山口文象渡欧。そしてこの年表にはありませんが、1939年には第2次世界大戦の勃発です。いやはやすごい時代に彼らは青春時代を過ごし、荒波にもまれ成長し、生き抜いてきたことがわかります。

 佐藤氏の講演は、当時建築され、現代にも生き残っている近代建築を紹介しながら、時代背景をあわせて、若い同人たちの生きざまを雄弁に語ってくれました。印象深く、重く心に響く内容でした。限られた時間のなかではとても語りつくせない内容でしたが、歴史家の観点は我々技術者とは違うと思いました。時代的にも新建につながるところまではいかなかったのですが、それも合わせ次の機会に期待することとして、講演を終えました。

 佐藤氏はこの日新建千葉支部に入会されました。最後にこの喜ばしい報告ができることを幸甚に思います。

(千葉支部・加瀬澤文芳)


東京支部 ー「東京の都市問題を大いに語る 新春のつどい」

  日時:2019年1月26日(土)

  場所:板橋区清水町地域センター

 

 1月26日「東京の都市問題を大いに語る 新春のつどい」が板橋区清水町地域センターにて、新建会員21名(東京支部19名、千葉支部2名)、会員外30名、計51名が参加して行われました。(主催:新建東京支部 後援:群馬支部)

 

 この催しは『建まち』誌2018年7/8月合併号で「大規模な都市再開発が抱える危険」として特集されました記事のなかで、東京支部東京問題研究会がまとめた「再開発によるまち壊しの実態とそれに抗する住民の運動」と題した報告をもとにしています。

 第一部として、その特集号でも報告されました岩見良太郎さんの「アベノミクスとポスト五輪の危機」と題された基調講演では、アベノミクスとオリンピックを傘に着た、危うい構造的経済活動を基盤とした大規模開発の構造的実態を講演されました。

 次に鎌田一夫さんの「都有地を投げ売り、五輪選手村の実態」。オリンピック選手村建設を隠れ蓑にした東京都の民活路線によって、民間大手デベロッパーへ都有地を投げ売り、オリンピックの選手村に仮使用した後に大規模タワーマンション6000戸を売り出すというものです。都は都有地を市価より1000億円以上安くデベロッパーに払い下げ、選手村としての内装費(撤去費も含め)を負担、スケルトンの賃料まで支払うという、まったく民間奉仕依存型の実態が報告されました。

 また、石原重治さんの「都営団地を種地に民間開発、北青山三丁目地区まちづくりプロジェクトの紹介」では、北青山三丁目団地で現在進んでいる都営住宅の建替えの問題。都は建替えによって「創出用地」を生みだし、民間による大型開発(これに関連してURの住宅が廃止、住民が追い出しを受けている)に提供しようという、これまた民活路線の実態報告でした。

 第二部は、『建まち』特集号で取り上げた再開発に抗して地域運動を行っている各地域のみなさんに報告をしていただきました。①立石駅周辺地区「生活していけない再開発は街こわし」西川美由紀さん(立石駅周辺再開発を心配する人の会共同責任者)②十条駅西口地区「街づくりからまち活かしへ」榎本敏昭さん(十条駅西口再開発組合認可取消訴訟原告団長)③南池袋二丁目C地区「再開発は〝公共の福祉〞の乱用」小宮山晋さん(南池袋二丁目C地区の再開発を心配する会)④大崎駅西口「超高層建築は居住環境を壊し、危険が増加する」井上信さん(大崎西口高層建築を考える会代表)⑤月島地区(愛する月島を守る会)⑥神田東松下町「コーポラティブ方式でつながる人とまち」関真弓さん(都市とまちづくり研究会)⑦八重洲二丁目中地区「これは戦争だ」太田健一さん(八重洲の街並みを守る会事務局長)⑧板橋区加賀地区「48ha以上の大規模開発は住民の協議会に意見を聞くルール」千代崎一夫さん⑨「補助26号線で大山ハッピーロードが壊される」千代崎一夫さん⑩「〝新春のつどい〞の会場のこの場所も地元に問題が……」⑪「選手村用都有地の投げ売り問題」中野さん(臨海都民連)

 最後に岩見良太郎さんがまとめとして「今日行われたのは住民のささやかな戦いの報告でした。今日の各地での戦いは未来を切り開くバネになると確信します。日本に必要なのは、自分たちで「空間づくり」の提案をすると同時に、人々との「縁づくり」を進めることがきわめて重要なのだと思います。開発が巨大化すればするだけ、多くの人と手をつなぐことが大切です」とお話しされました。

 その後の懇親会も30名を超える参加者があり、各地域活動の方々との交流と活発な意見交換が行われ、また歌や楽器演奏も披露され、和やかに大変盛会好評のうちに行われました。

 今回、各地域活動の方々に呼びかけこうした催しを中心的に行うことは、「新建」が社会に求められている大きな使命であろうと強く思いました。

(東京支部・柳澤泰博)


大阪支部 ー 2019年年間企画月例勉強会

「建築家:たのしく仕事してちゃんとメシを食う!」第1回報告

  日時:2019年1月28日(月)  

  場所:OLA Field

 

 大阪支部代表幹事の伴さんが次の新建叢書執筆を前提に、多くの建築家技術者と勉強会を共にし、その成果を本に仕上げたいと企画した勉強会です。その第1回が1月28日(月)に伴さんの事務所、OLA Fieldで開催されました。

 この勉強会は画期的な試みとして、ネットを通じて映像と音声が進行と同時に配信され、視聴者からツイートもできました。出席者は9名、ネット参加者は6名でした。

 「建築家技術者は、常民の思いに符合した理念を建築目的化して、方程式を持たない、多面的に表れる諸場面に対応する柔らかい建築手段を発見・交流して、建築実現する仕事に専念できるようにしよう!それが主流のメシの食い方だ!」というのが勉強会の目的です。

 そもそもは、38年前に伴さんが『建築とまちづくり』1981年10月号の「建築理論の継承と発展をめざして」の特集を読み、それを踏まえて、大阪支部の支部ニュース「新建おおさか」で「モダニズムをいかに越えるか」を書きました。そのなかで伴さんは「モダニズムを認識の概念から出発して発展させようとする試みそのものは、極めて有効な手段であるのではないか。機能と材料と生産方式を総合し建築するというのは建築生産に従事する側の観点であり、認識の概念から建築デザインを捉え直すということは、建築を体験し、それを認識する主体から建築を見直すという観点、できあがった建築と生活において関わる人(住む人、使う人)の立場に最初に立つという観点なのである」と考えました。

 その後、28年間の仕事を通じての実践の間に積み重ねてきた建築観は、2009年に東京支部の招きで開催した3回連続講演での4つの問題提起に結実します。①ユーザーにも解りやすく、自分たちの志向を明らかにするためにも、建築家を1・2・3流に分けて整理し、1流を目指すことが大切なのではないか?②建築文化の歴史的解釈のもとで「シンボリック・アーキテクチュア」が一般建築にも今なお引きずられている状況と理解し、「フォーク・アーキテクチュア」なる概念を掲げ、建築文化を変革することが必要ではないか?③無限に続いていいはずのない経済成長をどこまでも掲げる政治のもとで、ロスだらけのアクセク社会ができ、まだ止まらないことに、いらだちながらも、将来へとつなぐ人としての行為、建築専門家としての仕事は何なのか?④私たちの仕事のスタイルの変革、建築運動の今日的目標の設定。

 この講演会がきっかけとなり、伴さんは、これからの新建運動の指針となるような一冊の本にまとめたいと思いました。

 第1回の勉強会では伴さんからの問題提起の後、参加者の今の問題意識を順に発言しました。「商業建築と住宅の捕らえ方の違い」「建築生産のしくみと量産する合理性」「公共の概念」「存在の共有」「ライフワークバランスとワークアズライフ」など、さまざまな問題意識について議論しました。

 その次に、伴さんからスライドによる認識の深化ということで、①原発と地震 ②経済が発達することによる地球への134倍の増加した負荷 ③世界一貧乏な大統領ムヒカ氏 ④GDPではなくGFH(グロスファミリーハピネス)について話されました。また、伴さんのオリジナル理論「建築デザインの構図、AD=F(X、Y)=F(目的、手段)」についても少しだけ説明がありましたが、初めての参加者には理解しがたく、次回から深く掘り下げていくことになりました。

 最後に、伴さんからの提案で「科学するとは」について参加者全員から、「法則性」「お金に左右されない」「普遍化・客観化・社会進歩」「実態を微分化して、社会には積分化してわかりやすく出す」「ジェネラリストとスペシャリスト」などの意見があり、議論しました。

(大阪支部・栗山立己)